NUBIC NEWS 2016年2月号特集 地域連携

商学部における地域とのコミュケーション

1. はじめに

 地域に対する貢献・連携として産官学の連携があるといわれていますが,商学部は基本的に事物を作れる学部(工学・建築・土木・食品)ではありません。マーケティングや商品開発,経営学,会計学など,専門分野の知識を生かした地域との関わりも十分考えられますが,最近では,産官学連携はその範囲を広げ,多様な繋がりがあって良いと考えられているようです。そこで,学部として,設置されている地域との連携を考えていく場合,人間を媒介とした連携を考究していくことは,今後,大学の産官学の進捗を検討する場合に必要なことではないかと推察されます。本事例が適切であるかどうかは分かりませんが,私共の取組を紹介させていただきます。

2. 商学部とその地域

 商学部のキャンパス(世田谷区砧5丁目2番1号)には,もともと「新東宝撮影所」がありました。ちなみに新東宝株式会社(1961年倒産)の本社所在地は,砧5丁目7番1号でした。現在も商学部の隣には,東京メディアシティのスタジオがあります。スタジオの管理・運営会社が,新東宝の倒産後,商号変更した国際放映株式会社(1964年商号変更,本社所在地は新東宝株式会社と同様)になります。また,世田谷区砧地域に隣接する成城地域には,東宝株式会社の東宝スタジオがあります(世田谷区成城1丁目4番1号)。さらに砧地域には,日本の特撮の父と言われる円谷英二氏のご自宅や,ウルトラマンシリーズの製作に関わっている円谷プロダクションの本社がこの地域にあった時代もありました。このように,砧地域は,映像・メディアととても関連の深い地域です。

 一方,商学部の最寄り駅である祖師ヶ谷大蔵駅の北側には東京都住宅供給公社の祖師谷住宅,南側には同住宅供給公社の大蔵住宅があり,それぞれの住宅に向かって,団地と同様,北側・南側に向かって3つの商店街が伸びています。小田急線が高架化される以前の祖師ヶ谷大蔵駅は,踏切のそばに小さな駅舎がありました。このように踏切によって隔てられた商店街では,あまり強い協力関係がみられず,交流が限定的になることが指摘されています。そのような条件に当てはまる祖師谷駅付近の商店街もそれぞれ独自の歩みと歴史を刻んできています。商店街の名称は,北側から「祖師谷昇進会商店街振興組合」,「祖師谷商店街振興組合」,「祖師谷みなみ商店街振興組合」です。2004年には,小田急線の高架化が世田谷代田〜喜多見間で完成し,祖師ヶ谷大蔵駅の踏切が撤去されました。そのころ3つの商店街の中で,祖師谷商店街振興組合が世田谷区の助成を得て,初めて公式ホームページ(HP)を開設しました。その際,HP開設に深く関わった商店主の方が,本学部の教員と同じ大学の卒業生という縁から,本学部の共同研究グループにHPについての相談があり,当時職位・年齢的にもグループ内で最年少であった筆者がHP開設に関わることになりました。これがきっかけとなり,商学部として,それぞれの商店街振興組合のイベントなどへのお手伝いが少しずつ増えていきました。こうした取組は,「産(商店街振興組合)官(世田谷区・東京都)学(商学部)連携」と言えるのではないでしょうか。

 そのような中,世田谷区の職員グループが,職員研修の形で砧地域に派遣されました。当時,砧地域の犯罪率が増加しており,地域の安心・安全を取り戻すことが彼らの活動目的に挙げられていました。そこで,世田谷区の職員が注目したのがウルトラマンでした。ウルトラマンを安全・安心の象徴とし,商店街も力を貸して欲しいという要望を受け,3商店街振興組合の構成員にとっては,雲をつかむような話という受け止め方もありましたが,安全・安心という観点からの提案であったため,それぞれの商店街振興組合としてもこの提案を受け入れることとなりました。円谷プロダクションでは,このような形でのキャラクター使用について,初めは難色を示していましたが,区の後押しもあり,最終的には条件付きで,キャラクターの無償使用を一部承認してくれました。先述のように,3つの商店街は,それぞれが異なった歴史を持っていますし,個別に複雑な問題を抱えていたと考えられます。その一方,商業集積という観点から,団結も必要となります。様々な課題を越え,3つの商店街振興組合それぞれの,当時の理事長・理事・組合員(商店主)の努力により,2005年4月に「ウルトラマン商店街」が誕生しました。そして,ウルトラマン商店街の立ち上げとほぼ同時に,東京都が行っている「地域連携型モデル商店街事業」に,3つの商店街振興組合が合同で応募することになりました。当該事業は,商店街の活性化と商店街の役割の高度化のために,地域住民・大学・NPOなどの地域団体と連携し,地域ニーズに対応した取り組みを,モデル事業として指定するというものでした。そこで,これまでの関わりから,大学=商学部という意見を3商店街振興組合の構成員や地域の皆様から頂くことができ,勝山進商学部長(当時)をトップとした連携組織「ウルトラまちづくりの会:まちづくりの会」が立ち上がりました。晴れてモデル事業として指定され,東京都の補助を受けながら,ウルトラマンの立像が駅前に,ウルトラまちづくりプロジェクトの全体像また,それぞれの商店街振興組合の境にアーチが造られ,そこに飛び像一体ずつの完成を見ました。そのことをきっかけとして,街路灯の柱にはウルトラマンのフィギュアや写真を展示し,関連図柄の装飾旗を飾るなど,商店街にはウルトラマンがあふれました。さらに,商店街の一店舗では,ウルトラマンのオリジナルグッズが販売され,ウルトラマン商店街スタンプの発行など,関連の活動が広く展開されました。現在も3つの商店街振興組合は「ウルトラマン商店街」として協力し色々な活動を継続し,まちづくりの会(現会長:小関勇商学部長)も商店街の1サポーター集団として連携を続けております。

3.「 ウルトラなまち」祖師谷?!

 祖師ヶ谷大蔵駅には,「ウルトラなまち」という表記があります。本活動は一見するとウルトラマンを中心とした地域活動と捉えられますし,また,現にそのような地域の方もおられると考えられます。しかし,敢えて「ウルトラマンのまち」とは書かれていないのです。このことは,まちづくりの会で議論した,「ウルトラなまちでありたい」と願う志が生きている証です。先に述べたように祖師谷・砧地区は映像関係の情報集積や人的集積もありますが,その点はまだ十分生かせているとはいえない面もあります。しかし,現在もまだ変わりつつあるこんな“ウルトラ(極端・過激・超)なまち” のなかに商学部はあります。

 本事例は技術的要因での連携事例ではありませんが,人との関わりをテーマに,地域連携を検討する1つの事例ではないかと考えられます。まちはそこで暮らしている人が編み出す空間でもあります。このような中で学部として生きながらえていくためには,「地域の中で存在を許される」ということが今後益々大切になってくるのではないかと考えられます。学生は4年で卒業し,新入生が入ってきます。少子化の時代,学生数も減少の一途をたどることが確定的です。しかし,大学は学生にとって学修の場です。その事実が地域にどのような意味のあることなのか。大学とまちが,それぞれの可能性を信じて,ウルトラ(極端・過激・超)な活動や人的交流を今後も長い時間をかけて互いに継続することも,産官学の連携の1つとして考えられないでしょうか。